いるか丘陵は、関東山地と太平洋をつなぐ"多摩三浦丘陵" |
関東平野に凸凹あり 〜地形図から再発見 いるか丘陵 |
図1は首都圏を標高300m以上を茶色、標高50m以上300m以下を緑色、標高50m以下を黄色に塗り分け、首都圏の大地の凸凹=ランドスケープ(用語解説参照)が分かるようにした地図です。標高50m以上300m以下のエリア(緑色)は、標高300m以上の山地(茶色)の周縁部と房総半島南部の上総丘陵のほかに、高尾山から八王子、町田、横浜を通って三浦半島先端にいたるエリア上にも広がっていることが分かるでしょうか。
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このエリアに着目し、もう少し詳しくランドスケープを見てみましょう。図2の地図は、東京都・神奈川県東部を標高で色分けしたものです。多摩川より北側(上側)と境川より西側(左側)は、色分けが単調、つまり平坦なランドスケープ―低地が広がっています。しかし、その間、高尾山の東側から横浜をとおって三浦半島先端に至るエリアは、緑色・黄色の色分けが複雑、つまり標高50m〜300mの範囲で標高差の激しい複雑なランドスケープ―丘陵になっていることが分かります。この丘陵を囲む(図2の水色点線)と、三浦半島を「尾」、川崎・横浜の臨海地帯を「背びれ」、川崎から町田・八王子にかけての丘陵域を「頭」、町田市と多摩市の接する鶴見川源流あたりを「瞳」、そしてそこから高尾方面にのびる尾根一帯を「くちばし」として、太平洋から大きくジャンプする『いるか』の姿が見えてきます。これが『いるか丘陵』です。
いるか丘陵は、地理の専門書と照らし合わせてみると、『多摩・三浦丘陵群』と呼ばれる丘陵と台地のエリアです。いるかの体の各部位に例えれば、いるかのくちばしから頭そして胴は「多摩丘陵」、背中は「下末吉台地」、背びれは多摩川・鶴見川の沖積低地と埋立地、お腹は「三浦半島」です。いるか丘陵の外形は水辺によって区切られ、いるかの頭から背中は多摩川、お腹側は境川、尾は海岸線が縁取りとなります。
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いるか丘陵は首都圏のグリーンベルト |
下の画像は、東京都・神奈川県東部のランドサット画像です。そのほとんどが市街地になっているため白色に見えますが、いるか丘陵上に残る緑の模様を遠目に眺めてみましょう。鶴見川源流域、四季の森公園、円海山緑地、舞岡公園、大楠山、小網代・・・といった、首都圏にありながらまとまって残る貴重な自然拠点が含まれています。いるか丘陵は、関東山地と太平洋をつなぎ、多くの都市群をのせると同時に、なお自然のにぎわいもとどめる、首都圏のグリーンベルトです。
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多摩三浦丘陵・都市型国立公園構想 |
いるか丘陵(多摩三浦丘陵)を首都圏のグリーンベルトに設定し、さらに国際的にも注目されるような、新しい都市型国立公園システムを作り上げることを提案しています。
いるか丘陵(多摩三浦丘陵)には、丘陵・河川・海岸等に、なお良好な自然の諸領域が密度高く散在しています。私たちが考える都市型国立公園システムは、それらの拠点的な自然域を基本的なバッチとし、これを緑や水系、あるいは各種の交通路によって繋いだネットワーク全体を講演と指定する、新しい国立公園制度です。都市型国立公園システムは、市民・NPO・企業・行政の連携によって維持・利用・管理されてゆきます。
この構想は1994年に提案され(「リバー・ネーム」(1994年、リトル・モア、岸由二 著))、1997年には「いるか丘陵の自然観察ガイド(1997年、山と渓谷社、岸由二 編)」が発刊、2000年には「多摩・三浦丘陵群の未来を考えるシンポジウム(主催:いるか丘陵ネットワーク、共催:かながわトラスト緑財団)」が開催されました。このように、いるか丘陵(多摩三浦丘陵)では、すでに拠点的な自然域で市民・NPO・企業・行政の連携による緑地保全・活用の取り組みが進み、いるか丘陵(多摩三浦丘陵)をベースとした連携も継続されています。(現在の主な取り組みについては、プロジェクトを参照)
この構想が実現すれば、首都圏は都市型国立公園システムによるグリーンベルトを取り入れた、国際都市の仲間入りを果たすことでしょう。
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いるか丘陵ネットワークとは |
首都圏グリーンベルト構想の実現を目指し、いるか丘陵上で自然の保全活動を進める団体等をネットワークし、関連する活動の情報交換、丘陵規模の活動連携に取り組んでいます。運営はNPO法人鶴見川流域ネットワーキング(http://www.tr-net.gr.jp/)が行っています。
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